2012-12-05

金堀の読み方は「カネホリ」です。

こんにちは、ついに雪が積もってしまいましたね。

ところで、なんで金堀重機っていうの?という質問をよく受けます。
私もいまいち分からなかったので、昔からの社員に聞いてみました。

金堀重機の創業者は現社長の父である宮澤文雄という人物です。
戦時中ゼロ戦の整備をやっていたことで車の修理屋を始め、
(有)金堀モーター商会という名前で昭和30年に創業しました。
その場所が会津若松の金堀村だったことでそのような名前になりました。

創業者 宮澤文雄
懐かしく思われる方もいるでしょうか。


その後は町の方に下りてきて (株)金堀 という名前で自動車修理工場を継続しました。
そのころからクレーン車、ポンプ車を取り入れ始めた結果、どんどん流行りだし
事業内容があまりにも違うということで、昭和50年に自動車工場と別れる形で
(株)金堀重機ができました。

当時の社屋がこれです。
ちなみにトラックレンタカーの事業は失敗したそうですが(笑)

当時フル稼働していたクラムシェル

導入したばかりのブーム車
はじめは配管車でやっていました。


初期金堀重機メンバー。右端が文雄社長。
ラフターの型が時代を感じさせますね。


このような形でいまの金堀重機があるわけです。
創業から57年、建設業もなかなか厳しい時代になりました。
創業者はよく、「中小企業は右向け右なんだ!」と言っていたそうです。
1代でここまで重機を持つ会社にするには大変な努力だったと思います。
創業者の意志を受け継いで、良い時代も厳ししい時代も、
社員が一丸となって会社をつくりあげていきたいです。


宮澤 真菜